趣味とは何か?名著ブルデュー『ディスタンクシオン』を語りたい

こんにちは!やーまんです。

いきなりですが、

あなたの趣味はなんですか?

読書、映画鑑賞、スポーツなどなど様々だと思います。

その趣味を公言した時に

「あ〜好きそう!」

とか言われたことありませんか?

あるいは、誰かの趣味を聞いて

「あーこの人らしい趣味だなっ」と思ったことはありませんか?

私は全然あります!笑

具体的な例を言ってみると、、、

大学教授している人に趣味を聞いて、、

「読書とクラシック映画鑑賞」です。

と言われて

えー!!ウッソ。意外。

ってならないですよね?笑

むしろ

あ〜、、素敵ですね。(ぽいな〜)

てなりません??笑

なぜ私たちはそう思うのでしょうか?

そんなことについて鋭い指摘をしているのが

今回紹介するフランスの社会学者ブルデューによる『ディスタンクシオン』です!

この本1と2で2冊に分かれているのですが

両方辞書みたいに分厚くて、普及版も出ていますがそれでも1冊4000円くらい!

しかも難解!!

ということでわざわざ購入する必要もないと思うのですが、、

面白いので代わりに私に紹介させてください!!笑

ちなみにNHKの「100分de名著」(岸政彦さん解説解)で紹介されていてムック本も出ており、それは読みやすいのでおすすめです!

(今回の記事も主にこの本参考にしてます!)

では早速『ディスタンクシオン』一緒に見ていきましょう!

趣味=稲妻の一撃??

例えば

美術館である作品を見て、、、

ビリビリビリッ!!!

稲妻に打たれたような衝撃を受けて好きになった。

みたいな体験ありませんか?

まず!ブルデューはこの稲妻の一撃を否定しています。

それは「稲妻の一撃」ではなく「社会構造」に強く結びついている

ということを言っているんですんね〜

もっというと、あなたの「教育水準」「出身階級」によって規定されているだけ!

と主張しているんですね〜

はいっ、批判が多そう!という主張ですね。笑

批判する前に!ここで少しブルデューの経歴を見てみましょう!

社会学者ブルデューのバックグラウンドを知る

ピエール・ブルデュー(1930ー2002)

・フランスのダンガン村に生まれる。

・父は農家出身の郵便局員

・幼少期からとにかく秀才

・都会の高校へ

・パリの超エリート大学へ

ここで注目なのは彼が村=地方出身だったということです。

秀才なブルデューは都会の高校に進学することによって地方では見なかったような人々と出会います。

地方の人たちとは何が違ったかというと

言葉遣い、身だしなみ、態度、、など

いわゆる都会のお金持ちの人々を目にすることになりました。

さらにパリのエリート校に行くと、そこには地方出身者が殆どいない。

そのような出来事などから、ブルデューは「階級格差」への強い意識、そして怒りのようなものを持つようになったと言われています。

だからこの本では、批判があっておかしくないくらい

結構辛烈なこと書かれていたりするんですよね〜

でもそこが面白い。

生まれた時からリッチだったような特権を持っていた人々には、その「特権」が明るみになるので、このブルデューの考えを「ちょいとやかましいな」と思っていたみたいです。

そんなブルデューのバックグラウンドを頭の片隅に置いておいて読んでいくとより深く楽しめると思います!

「眼」とは歴史の産物である

さて、趣味の話に戻るのですが、

例えば、読書が好きな方!

なぜ読書が好きなんですか?きっかけはなんですか?

「実家に本が沢山あった。」

「親が読書好きだった、、」「親に勧められた、、」

みたいな方が多いのではないでしょうか?

そう!読書が好きになるための下地があったんです!

「本を読むことが楽しめる」は当然ではないんです。

楽しむためには、「楽しい」と思う受容力が必要なんです。

そして、その受容力は家庭や学校で得た知識や態度によって身につくんですね〜

だから、家庭と教育は趣味に影響しているんだ!ということなんですけれども

ブルデュー適当に言っているのではなくて、もちろん調査も行っています。

例えば、

様々な人に、学歴、収入、職業などを質問した上で、、、

ある1枚の写真を見てもらいます。

その写真について「どんな反応をするか」というのを調査したんですね

どんな写真を見せたかというと

風景、妊婦さん、民族舞踊、カトリックの儀式、老婆の手、、

などです。

何がわかるの??って感じなんですが、面白いほどに人によって反応が分かれるのです。

例えば

民族舞踊やカトリックの儀式。いわゆる、いかにも写真映えしそうなものに対して

学歴低めの人たち→「美しい」

学歴高い人たち→「つまらない」

というふうに評価したんですね〜。ほおぉ〜。

さらに

老婆の手に対しては、、

労働者階級の人たち→「きっと働き詰めだったんだろう、、(共感)」

上流階級の人たち→「美しい。労働の象徴だ!(超客観的)」

こんな風にハッキリと一定の傾向が見られたんですね〜

そしてブルデューは

「眼」とは歴史の産物であり、それは教育によって再生産される

と言っているんです。

つまり、何かを見て、それが「どう見えるか」はあなたのこれまでの歴史(家庭や教育など)が反映されているんだ!

ってことなのです。

確かに「同じモノ」でも全員に「同じように見えている」わけではないですよね。

私は先月に東京の国立西洋美術館に行ったんですけど、

かの有名な「ピカソの絵」を初めて目の前で見たんですね。

が、しかし!

正直何が凄いのか全く分からなかった、、笑 (ファンの方すみません、、)

それだったら、分かりやすく綺麗なモネの絵の方が比べものにならないくらい感動しました。(ファンの方ごめんなさい×2)

これも、ピカソがどうかとかではなくて、

私がこれまで生きてた歴史、家庭や教育の中で「ピカソの絵が美しい」と思うような受容力とか「眼」が身についていないからっていうことができますよね。

そうやって言われると「確かに、、、」ってなってきませんか?

「面白いかも、、」ってなりませんか?

なってもらえたら嬉しいのですが、長くなってきて飽きられると困るので今日はここまで!笑

次回はこの本の中に留まらず、社会学全般でも大切な考え方になっている

『ハビトゥス(傾向)』を中心に語りたいと思います!

最後までありがとうございました!

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